価値共創 〜北陸の確かな未来を地域とともに創造する〜

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編集後記
 

昆布ロード~2013年7月号

 夏本番、各地で夏祭りや花火大会が開催され始めたが今年も暑い。冷酒やビールが美味しい季節となった。そんな中、久し振りに私の第二の故郷である函館を訪問する機会があり、戸井地区の前浜で、真昆布漁の光景を目にすることができた。この時期、北海道各地では、昆布漁が真っ盛りであり、天気のいい日には、花火などの合図とともに一斉に男が漁に出、採った昆布を家族総出で石浜に天日干しし、浜全体がお祭りの様なにぎわいとなる。

 私は昆布が好きで、中でもニシンの昆布巻、昆布巻かまぼこ、刺身の昆布〆が好物である。また我が家の食卓には常に、とろろ昆布があり、汁物に入れたり、ごはんの上にのせて食べている。昆布の95%は北海道で生産されているが、消費は北陸3県とも多い。特に富山県は北海道開拓時代、多くの入植者が昆布漁に従事した縁もあり、全国平均の約2倍、全国一の消費量である。

 昆布は、だしをとり、精進料理など日本食には欠かせない食材、縁起のいい食べ物、そして頭髪にもいいという認識しかなかった。しかし調べてみると、昆布はミネラル、食物繊維が豊富でフコイダン、アルギン酸などにより、動脈硬化、高血圧など生活習慣病を予防する効果もある、立派な健康食材であった。

 この昆布が江戸時代の中頃から、幕末、明治にかけて北海道で収穫され、“北前船”で北陸から京都、大阪に運ばれ、それが薩摩、琉球を経て清国まで届けられていた。この交易ルートが“昆布ロード”であるが、これを大きく開拓したのが薩摩藩と、加賀藩であると言われている。当時、清国では昆布が漢方薬として貴重な品であったことから、貧しかった薩摩藩が、加賀藩の“越中の薬売り”と組み、昆布を大量に仕入れ、密貿易ではあるが、琉球を通じ清国に販売。そして帰り荷として清国から漢方薬の原料を大量かつ安価に入手、これにより越中は、現在の富山地場産業の基礎ができ、一方薩摩藩は莫大な利益を得ることができた。この利益を基に武器を近代化するなど、倒幕資金を蓄えることができ、昆布が日本の近代化の礎になったと言われている。(『昆布と日本人』 奥井隆 日本経済新聞出版社)

 私もこの1年3カ月、本誌の編集を担当し、地元を見直す機会を得、改めて北陸は底力があり、恵まれていることを再認識した。この背景には上記“昆布ロード”の様に、“北前船”で栄え日本各地のみならず、海外との交易も司ってきた歴史がある。このDNAが今に生き、“ものづくり王国”と呼ばれ、全国的に見ても“幸福度”の高いエリアとなっている。

 ただ一方で、日本全体でみると、近年わが国の経済発展を支えてきた科学技術イノベーションの国際ランキングが、2007年4位から、2012年25位(内閣府HP)と、大きく低下。さらに今まで日本を引っ張ってきた電子機器の世界市場におけるシェアも、大きく低下している。

 このため、今回のアベノミクス成長戦略の中でも“科学技術立国の復活”を揚げ、5年以内に世界ランキング1位を目指す目標となっている。資源の乏しい日本にとって、この戦略は絶対に欠かすことはできない。限られた国家財政の中で、国に頼ることばかりでは駄目である。

 その中で重要な施策の一つは、民間が主導する“産学官金”連携である。幸い北陸の各企業、各大学はこの面について積極的になりつつあるように見える。本誌においても、昨年11月号より、各大学の協力を得て、産学シーズコーナーを新設し、2案件ずつ掲載している。これが“産学官金”連携を、今後さらに活性化させることの一助になればと願っている。

 いずれにしろ大切なのは、既に明らかになっている課題を解決するための、安定した政治と、民間企業経営者の前向き姿勢と意志である。“北前船”、“昆布ロード”に見られる先進性を思い起こし、この北陸が、再度“日本丸”のリード役となることを願ってペンを置きたい。


 

水について思う~2013年7月号

 紫陽花の花がきれいな梅雨の時期、降る雨を見ながら、“上善は水の如し”という老子の言葉を思い、自分もかくあらねばと思う齢になった。

 地元地方紙において“ほくりく水紀行”や“水の国ふくい”など美しい写真と共に“北陸の水”に対しての熱い思いが、現在連載されている。改めて日本、特にこの北陸が水に恵まれた環境であり、産業、文化の面で、いかに水から多くの恩恵を受けているかを認識させられる内容である。

 私も地の利を生かし、月に何度か“水”をくみに行っている。春から秋にかけては、少し山に入るが上市町護摩堂にあり、富山の名水にもなっている“弘法大師の清水”、冬場は滑川アクアスポットの“海洋深層水”。この二つは山と海の違いはあるが、ミネラルがたっぷり含まれており、この水で炊いたご飯、お茶やコーヒーなどは本当にうまい。北陸3県は水道水も十分おいしいが、いたる所に名水があり、わが町、村の“水”が一番おいしいと思っている方も多いと思う。この豊富な“水”は我々の最高のぜいたくと言える。

 ただ一方で世界に目を転じると、水の惑星と呼ばれる地球であるが、その大部分が海水であり、人が利用できる水は0.01%にしか過ぎない(国土交通省HP)。地球という惑星の中では、この水資源は一定であり循環しているが、地球温暖化や人口が増え続け、都市化や工業化が進んだことからバランスが崩れている。その結果、世界が水不足、汚染、洪水など深刻な水危機に直面しているといわれている。

 アラル海(中央アジア)は、旧ソ連時代の地図には、世界で4番目の大きな湖として載っていた。しかし、直近の地図では二つの国によるかんがい用水の取水により、面積の70%以上が失われ、干上がった状態となっている。また同様にヨルダン川、ナイル川、インダス川、ドナウ川、コロラド川など国際河川で“水”をめぐる紛争や環境問題が発生している。その中でアジアは中国、インドなど世界の人口の60%が集中するが、もともと利用できる水資源は30%とアンバランスであり、しかも近年発展が著しいことから水不足、汚染が一層深刻である。

 そんな中、タイのチェンマイで第二回アジア・太平洋水サミットが5月14日から20日まで開催され、水不足、洪水に対しての治水対策などについて協議された。ただ最大の課題であったASEANの大動脈であるメコン川の水資源争奪に関しての、上流の中国、中・下流のベトナム、ラオスなどの流域各国との問題については、議題、宣言の中には入らず、かえって問題の深刻さが伺えた。

 日本は一見、水資源には恵まれているように見えるが、食糧を大量に輸入しており、これは実は大量の水を輸入していることになる。また、中国などの海外の投資家が日本の水資源を狙って、森林を購入している動きもある。(日本の地下水が危ない 橋本淳司 幻冬舎)

 日本は治水、利水技術に優れ、また繊維メーカーの造水技術などは、世界トップレベルである。過去日本は、水に対しての意識が、他国に比して低いと言われてきたが、最近になりこの技術を海外でビジネス展開しようとする動きが盛んになってきた。北陸の企業においても同様の動きがみられ、今後この“水技術”においても“ものづくり王国 北陸”の名を高めてほしい。

 今まさにアベノミクスの成長戦略の中で、農業が大きな課題となっている。世界が水資源、食糧確保に躍起になっている中で、日本の農地が、減反、耕作放棄地などで遊んでいるという矛盾した現実がある。ここは水,食糧を国の安全保障として捉え、農業及び、水資源確保に必要な林業を再建し強くする具体策を早急に決め、実行する必要がある。


 

山里の古民家~2013年6月号

 6月は田に水を注ぎ入れる月であることから、水無月と言われているが、北陸の田園も田植えが終わり、“青田”の水面に写る山の姿も美しい季節となった。

 この春より昨年に続いて、私の近くにある山里に、いわゆる“聖地巡礼”で県内外から多くの人々が訪れているスポットがある。昨年大ヒットしたアニメ映画“おおかみこどもの雨と雪”の舞台となった、富山県上市町のそうめんで有名な大岩山日石寺の奥にある古民家である。このアニメ映画は地元上市町出身で、金沢美術工芸大学を卒業された細田守監督が手掛け、日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞するなど、国内外で高い評価を受けている。

 私は正直なところ、アニメは子ども、若者向けと思いあまり気にもかけていなかった。しかし、今年に入り富山県も高志の国文学館で、このアニメの特別展を開催するなど、雪解けと同時に再度盛り上がってきた。たまたま、家族が借りてきたDVDを半信半疑で見てみたが、これがなんとも新鮮で美しく、地元の剣岳、みくりが池、称名滝や県内で最後の木造校舎である田中小学校など実在する光景が次々と登場する。またストーリーも大人が十分満足できる、人生の本質に迫る内容である。

 先日大岩そうめんを食べたついでに、その古民家を訪ねてみたが、その日も幅広い年代層の方々が訪れており、家主の山崎正美さんご夫妻とサポーターの方々が、本当に親切に対応されていた。築130年の建物であり、玄関の右には広間、客間、仏間、奥がいろり、台所、風呂、左が馬小屋、作業場、厠という典型的な昔ながらの農家の古民家である。最近は海外でもヒットしていることから、欧米、アジアのファンも訪れるようになり、山崎さんやサポートする上市町の方々も英語、ハングル語などの外国語パンフレットを準備するなど、対応が大変とのことである。

 今年はDVDを見てファンになった人も多く、昨年以上の人が訪れるのでないかといわれており、大岩のそうめんも昨年から売り上げが大幅に増えているとのこと。地元では剣岳や他の観光資源も生かし、今後どう地域振興に生かしていくかで盛り上がっている。

 アベノミクスの第三の矢、成長戦略の中に“クールジャパン”というアニメ、ファッション、食文化などを海外に発信し日本経済を活性化しようとする戦略がある。この“おおかみこどもの雨と雪”のように海外でも大ヒットしていることをみると、確かに日本のビジネスとして大きな武器となると思う。

 また本誌今月号に“北陸におけるライフケア産業の創設について”という調査記事を掲載しているが、今後の高齢化社会に向かって、この医療・介護分野は切実な問題である。また一方で産業育成という観点からは、非常に大きな成長が見込める分野である。この6月に医療・介護、農業、エネルギー、雇用などについて具体的な成長戦略が示される予定である。

 第一の矢、金融緩和、第二の矢、財政出動については今後一定の成果が見込めるであろう。しかしながらリスクもあり、また海外の目も厳しく、いつまでもこれに頼るわけにはいかない。また外交の面においても相変わらず、近隣諸国との間で不安定な状態が続いており、経済回復による国力アップが急務である。ここは第三の矢をしっかり放ち、的を射て日本を強い体質にする必要がある。一つ一つが積年の大きなテーマであり、過去にもうまく進まなかったものが多く、痛みを伴うものが多いはずである。しかし日本に残された時間は少なく、メリット、デメリットをしっかり認識し、ここは緊褌一番、前に進むしかない。


 

北陸と歌舞伎~2013年5月号

新緑の5月となり、今年は富山湾の“ホタルイカ”が豊漁である。多くの人にその神秘な光を届けるとともに、“竜宮の恵み”を安く、美味しく味わってもらえていると思う。

 今月号のトップインタビューは、セーレン株式会社の川田社長にお願いした。元々繊維の染色専業企業であったが、これでは生き残れないとして、革命に近い改革を断行され、今やITを駆使したグローバルな繊維関連のものづくり企業に変身されている。そして現在もリスクを取り、社員とともにチャレンジを継続されている。今の日本にとって一番必要な企業行動であり、引き続き日本のものづくり企業をリードいただきたい。

 北陸のものづくり企業は、古くからの伝統技術を守り生かし、これをさらに発展、そして下請からの脱却など変革させながら、今日に至っている企業が多い。これは北陸にも縁が深く、日本の伝統芸能である歌舞伎の世界とも、似たところがある。

 私が銀行の浅草支店に勤務していた時、古くから舞台小道具を通し歌舞伎界を支えてこられた取引先の社長から、歌舞伎界の話を伺ううちに興味を持ち、何回か舞台を見に行った。華麗な化粧と衣装、舞台美術、台詞回し、三味線などの鳴物、そして長唄など、日本の美と文化が凝縮された世界である。そして幕間の弁当も楽しみの一つであり、本当に日本人に生れて良かったと思える時間でもあった。

 4月2日に東京・銀座の新しい歌舞伎座がこけら落としをしたが、日本の歌舞伎界を引っ張り、北陸とも縁が深かった2つの大きな星が、この新しい舞台に立つことなく、昨年末以来、次々と消えてしまった。一人は“中村屋”こと18代目中村勘三郎であり、縁があった金沢で昨年の河原歌舞伎の他、過去何回も公演してくれていた。もう一人は“成田屋”こと12代目市川団十郎である。本人の代名詞ともいえる歌舞伎十八番の一つ「勧進帳」の舞台が、小松市安宅の関とされる縁から、小松子供歌舞伎を20年以上指導されていた。まだまだ若く、これからという二人であったことから、本当に残念であるが、幸い後継者が立派に育っており、是非二人の遺志を引き継ぐとともに、北陸との縁も続けてほしい。

 この他北陸には、砺波市の出町子供歌舞伎、坂井市のまるおか子供歌舞伎、美浜町の子供歌舞伎などが、今も受け継がれており、北陸にとって大切な文化となっていると同時に、地域活性化につながっている。

 古典芸能である歌舞伎は、親から子へ、子から孫へとその技は厳しく伝えられており、ものづくり企業の匠の技に似ている。その一方でこの技を大切にしながら、“澤瀉屋”こと3代目市川猿之助による、宙乗りなどのケレンを入れたスーパー歌舞伎、18代目中村勘三郎によるコクーン歌舞伎、平成中村座などのように、新しい境地の歌舞伎も人気が出てきている。グローバル化、ネット社会化が進んでいる今だからこそ、日本の伝統芸能を大切に守り、そして進化させる必要がある。今後の若手役者にはさらに頑張ってもらえるものと期待している。

 政府、日銀も、新たな量的緩和を発表し、これに市場も大きく反応。これには慎重論もあるが、本誌「北陸の産業天気図」調査のとおり、非製造業を中心に日本の経済も少し元気になってきている。ここは日本の企業経営者も、経済が本物の回復につながるよう、歌舞伎役者に習い、“見得”、“にらみ”、“六法”などで、傾(かぶ)いて、ファイティングポーズをとってみてもいいのではないだろうか。


 

等伯と挿絵画家~2013年4月号

 4月になり、本誌表紙は兼六園の梅(3月号)から、一乗谷の桜にバトンタッチし、山の雪は解け、多くの生命の活動が活発となる時期である。政権交代による期待感と、貿易赤字の拡大などにより超円高が是正され、株価も上昇し日本経済も、冬眠から覚めたかのように、明るい話題も多くなりつつある。

 そんな中、北陸にとって明るい話題の一つは、北陸・七尾が生んだ画聖、長谷川等伯の伝記小説で安部龍太郎氏による「等伯」が、今回直木賞を受賞したことである。平成23(2011)年1月から平成24年5月まで日本経済新聞朝刊に連載されており、その前半には、安土桃山時代の北陸の情景が見事に表現されている。本人が能登から京に上り、戦乱や家族との別れ、狩野派からの妨害に見舞われながら、大成する絵師としての波乱万丈の人生を毎日わくわくしながら読んでいた方も多いと思う。

 この連載で挿絵を担当されていたのは、石川県珠洲市出身で現在白山市在住の挿絵画家西のぼる氏である。先日西氏の個展で、ご本人にお会いすることができ、お話を聴いたところ「若い頃から、能登出身の等伯に興味があり、いつか等伯を描いてみたいと思い続けていた。安部氏と何回か一緒に仕事をする中で、武将ではなく絵師を書こうとなったときに、西氏よりそれであれば是非、長谷川等伯を主人公にと申し出たところ、この作品が生まれた。」とのことである。もともと西氏も、一時小説を書いておいでになったこともあり、それぞれの挿絵は、安部氏の文章に見事に融合し、“物語のある美しい挿絵”となっている。残念ながら、北陸地区では白黒での挿絵となっていたが、原画はカラーであり改めて見ると、迫力もあり、この「等伯」を大きく盛り上げてくれたと思う。

 前半の部分では、七尾から京へ上る途中で、北陸の情景として“富山港の荒波”、“七尾の風景”、“三国港と唐船”、“気比の松原”など数多く出てきており、等伯の北陸に対しての熱い思いが見事に画かれている。また等伯の代表作であり、秀吉に献上したといわれている国宝の水墨画「松林図屏風」は、ふるさとである能登の松原を思い起こして、書かれたものといわれている。

 このクライマックス部分も等伯と、安部氏、西氏のふるさと能登に対する思いが結実したかのように画かれている。安部氏もその書の中で「等伯のモデルの一人は西さんであり、連載中は朝一番に新聞を開き、気迫のこもった挿絵にひときしり感心し、負けてたまるものかと奮い立ったものだ。」と書いている。

 西氏自身も、現在中日新聞に挿絵を入れた随筆を執筆中であり、地元に限らず全国的にもファンが多い。また、直木賞の受賞対象となった「等伯」の単行本には、残念ながら西氏の挿絵は無いが、今後挿絵を中心とした「等伯」もいずれ発刊予定とのことであり、今から楽しみである。

 今月号の企業紹介“のと楽”の谷崎社長の話の中にも出てきたが、今回の「等伯」直木賞受賞は北陸新幹線金沢開業、能越自動車道の七尾開通と合わせ、北陸の観光振興にとって大きなプラス材料になるであろう。

 北陸は京都に近く、浄土真宗や山岳信仰などが盛んであったことから、等伯以外に多くの絵師が北陸を訪れており、絵画文化の他に伝統工芸も盛んであったといわれていおる。この由来か今も各地に美術館や博物館が多い。「等伯」は北陸三県がルーツになっている作品であり、北陸のコア・コンピタンス(誘客の強み、北経連発行“北陸物語”)の一つとしてこれを機に、全国にPRできることを願っている。


 

北陸地酒メーカーのチャレンジ~2013年3月号

 2月から3月にかけて、金沢市にある兼六園の梅も蕾がふくらみ、春の気配を感じさせてくれる。また、この時期は受験シーズンでもあり、多くの受験生や親たちが、菅原道真公を祀った全国の天満宮に合格祈願に訪れている。そしてその境内には、道真公が愛したと言われる梅の木が、多く植えられており、この時期にそのかれんな花が開き、受験生親子を応援してくれている。

 梅といえば、本誌先月号の産学連携コーナーに掲載させていただいた、福井県立大学の宇多川教授が、梅肉店の梅つぼから発見した酵母を使用して、福井県産の六条大麦で地ビールを開発したと、地元紙に大きく報じられていた。これは同大学と地元の酒造メーカー、福井県食品加工研究所が産学官連携で開発されたもので、早速私も飲んでみたが、大変おいしく是非皆さんにもお勧めしたいビールである。

 また、本誌今月号の「統計&トピックス」に「多様化が進む酒類消費」として、主にビール市場動向を掲載しているが、ビール類だけでなく酒類全体として、ここ10年で比較すれば、消費量は落ちている。しかし発泡酒・第三のビールの発売などのアルコール類の多様化により、底打ち感が出ており、これに酒ではないがノンアルコールビールなどを入れると、むしろここ2~3年でみると増加に転じたと見られる。

 北陸3県では、1人当たりの消費量は全国比較で日本酒は富山4位、石川5位、福井9位、ビールは富山6位、石川7位、福井8位(平成22<2010>年度、金沢国税局)と元々上位にランクされている。これは共稼ぎ世帯の収入が多いのと、男女問わず酒好きな県民性であると言われているが、何よりもこの陰には、上記地ビール開発の様に、地元の酒造メーカーの努力があるものと考えられる。

 北陸には現在137(富山35、石川56、福井46、平成23<2011>年度、国税庁)の酒造メーカーがあるが、ここ数年の動きを見ていると、大きな環境の変化の中での危機感からか、各社とも若手経営者を中心として、消費拡大に向けた動きがある。具体的には海外市場への挑戦のほか、国内においても女性をターゲットとした、ワイン感覚で楽しめる日本酒の開発や試飲イベント・セミナー開催などを行っており、この効果が女性だけでなく、広く男性にも広がってきている。

 私は、日本酒党であり転勤生活の中で、多くの地酒を味わってきたが、やはり北陸の酒は美味しい。早く北陸の全銘柄を賞味するのが、当面の目標である。車の運転などでアルコールはダメという向きには、ビール以外でも金沢の酒造メーカーが、新たに開発したノンアルコール純米日本酒、富山の飲料メーカーが開発した本格的なノンアルコールスパークリングワインが最近話題になっている。私も早速購入して飲んでみたが、日本酒は熱燗の方が趣もあり、ワインは冷やして飲めば、本格的な味わいである。また双方ともアルコール「0.00%」であるが、新しい境地を発掘しており、女性も含めたファンが今後広がるものと思う。

 アベノミクスの効果か円安に向かい、株価も上昇、本誌掲載の「景気ウオッチャー調査」先行き指数(平成25年1月調査 北陸)も、調査開始(平成12<2000>年10月)以来初めてDIが60を超える高い数字となった。ただ重要なのは現在検討中の規制改革・構造改革を含む具体的な成長戦略であるが、北陸における酒造・飲料メーカーのように、企業が消費者のニーズを的確につかみ、知恵を出し、そして自らがリスクも取り、スピード感をもって前に踏み出すことが最も大切であると思う。

 そんな中、北陸においては北陸新幹線の金沢までの開業まであと2年となり、各方面で盛り上がってきている。北陸には美味しい魚だけでなく、うまい地酒が多いということも、もっともっと発信してゆく必要がある。


 

ゴジラの現役引退~2013年2月号

 今月号のトップインタビューは、石川県に本社工場を構え、日本を代表する工作機械メーカーである中村留精密機械工業株式会社の中村社長に、日本のものづくり企業を取り巻く課題、今後の進むべき方向などについてお伺いした。

 製造業においては、技術力、顧客ニーズの把握、グローバルな視点が大切であるが、経営で最も重要なのは“教育”であり“人づくり”とのことである。出張時以外は毎朝、朝礼において全員に対して政治、経済の状況も含め直接語りかけておいでになる。また質の高い雇用を守り拡大しながら、福利厚生面も含め社員を大切にされており、社員のモラルも高く、活力ある企業となっている。海外にも進出されているが、あくまでも軸足は国内、石川県ということであり、中村社長には引き続き、日本のものづくり企業をリードしていただきたい。

 石川県が生んだヒーローであるゴジラ松井秀喜選手が昨年末に現役引退を発表しバットを置いた。日本とアメリカ大リーグで通算20年間活躍し、その優れた実績に加え、本人の誠実で謙虚な姿勢から日米で多くのファンがいる。私は巨人、ミスター長嶋のファンであったが、そのミスターが1992年のドラフト会議で、見事松井を引き当てた時のガッツポーズの場面を今でもよく覚えている。二人の絆は深く、師匠の指導により松井も大きく成長した。

 私も銀行時代、転勤先で“北陸の松井”というと、ゴジラと関係あるのかと何回か聞かれたこともあり、なんとなく誇らしく、以来ずっと熱烈な松井ファンである。またプロ野球選手というと、よくアナウンサーやモデルと結婚することが多いが、ゴジラが選んだのは、やはり北陸、富山県出身の「一般の会社員」であった。

 ゴジラ松井がすごいのは、2006年にスライデイングキャチの際に左手首を骨折し大きな挫折を味わったが、その際「絶対に前より凄い選手になって戻ってきてやる」と言っていた。その後両膝の故障などもあったが、その時の言葉どおり、2009年にはワールドシリーズでMVPとなるなど見事に復活を果たした。そして、われわれに対し自由契約になる直前まで、全力でプレーする姿を見せてくれた。まだまだ38歳と若い、今回は一つの区切りであり、当面は充電期間となろうが、いずれ指導者としてわれわれに感動を与えてくれることを期待したい。今は本当にご苦労様と言いたい。

 ゴジラ松井のように一度、大きな挫折を味わった人が、再度復活し大きく活躍することは多い。昨年末に再登板した自民党政権、安倍首相も、過去の経験を生かし、現在の日本の難局に一つ一つ布石を打っている姿に対し、今のところ期待感がある。決して無理せず国民に対し、各施策のメリット、デメリットをしっかりと説明し、この日本を正しい方向に導いてほしい。

 日本も東日本大震災という、歴史に残る大きな災害を経験し、あれからもうすぐ2年になろうとしているが、死者・行方不明者が1万8591人、避難・転居者が32万1433人(12月12日現在 警察庁 復興庁)という現実がある。復興増税もスタートし、震災がれきの広域処理も動き出してはいるが、被災地の復興は、まだまだ思うように進んでいない。

 ただ、いつまでもマイナス思考ではなく、今回の辛い経験を将来に生かし、ゴジラ松井のように「この機会に以前より国土、社会、経済ともに強い国になってやる」という強い攻めの意志をもって、前に進む必要がある。これを成しうる力は、まだ日本にあるはずである。


 

北陸新幹線開業に向けて~2013年1月号

 新しい年を迎えた。今回誕生した新政権には、多くの課題を一つ一つしっかりと国民に説明し、是非日本を正しい方向に導いてほしいと願う。そんな中、北陸においては宿願の北陸新幹線が、昨年6月に金沢から敦賀までの工事が認可・着工となり、そして今年はいよいよ金沢までの開業があと2年余りとなった。この機会に新幹線開業を北陸経済発展の起爆剤にすべく、改めて官民あげて全力で取り組むべき年である。本誌でも何回か北陸新幹線について取り上げてきたが、今回改めて私自身の反省を顧みて、観光面について一考してみた。

 第一にわれわれの地元北陸の観光に対する意識の問題である。私は銀行員時代、観光地として人気の高い函館に2回、足掛け7年勤務、私にとって第二の故郷であり、今でも大好きな街である。函館がどうしてあんなに人気がある街かと、今改めて振り返ってみると、函館山夜景、大沼の自然、海産物と異国情緒のある歴史的建造物など数多くあるが、一番の要因は函館の人が自分の街に自信を持ち、常にPRしながら、もっと良くしようという意識が高い点にある。元々、水産加工以外の製造業が少なく観光が大きな産業ということもあろうが、私の比較感からは、観光に対しての意識レベルがそもそも北陸と大きく違う気がする。

 北陸にも立山連峰、白山、東尋坊などの自然があり、海産物も決して函館に負けないおいしい海の幸がある。また歴史についても北海道に比べ北陸は歴史的建造物も多く、伝統工芸も多い。しかしながら製造業が盛んな地域であり、またこの北陸の良さに気が付いていないのか、元々北陸の人は謙虚なところがあるためか、他地域の人に対して「あまり見るところが少ない」と言ってしまいがちではなかっただろうか。

 第二に広域連携についてである。私も昨年から北陸3県各地を行き来しており、その中ですばらしい企業、人、技術に多く出会うが、それと同時にそれぞれの県に多様な観光スポット、食文化があることを改めて認識した。北陸3県の人口及び、GDPをみてもそれぞれの県単位では、全国シェア1%未満であり周辺県とは大きく差が開いている。3県合計では新潟県、長野県、岐阜県を上回ることができるが静岡県、北海道には遠く及ばない。観光スポットの数、観光客の入込数についてもほぼ同様である。

 北陸3県でみれば立山連峰、白山などの大自然の他に「日本の伝統を残しながら、時代に即した風情のある美しい暮らし」というテーマに統一される観光資源(北経連“北陸物語”)が多くあり、また三大都市圏にも近く、他の地域に負けない規模と内容である。せっかく新幹線が開業しても、一県だけでは日帰り観光地となる懸念があり、経済効果が小さい。宿泊客を狙い、リピーターとするには“おもてなしの心”と県境を超えた広域連携で、じっくりと北陸路を堪能いただく必要がある。

 広域連携については、各方面で取り組みがなされつつあるが、まだまだこれからのように見える。今後二年間でわれわれの意識もオール北陸や、北陸+長野、岐阜、新潟などにシフトする必要があり、もっと他県のことも理解しながら競争と協調すべきであろう。

 私の第二の故郷である函館も、北陸新幹線金沢開業の一年後に北海道新幹線が青森から函館まで開業する。東北と連携して観光客誘致を進めており、エリア間競争がますます激化することが予想される。次の敦賀そして大阪までの早期開業と同時に、北陸の観光資源に自信を持ち、広域連携についてのわれわれの意識をさらに高める年としたい。